労働の中の音楽


上の映像は、初詣にいった川崎大師で見かけた、とんとん飴というお店の映像です。飴をきっている作業がポリリズムのような音楽になっていて、周囲にいる人も作業者も、飴を作ることや買うことを超えて、音を楽しんでいるかのように見えます。
実際、今やこのパフォーマンスは俗くさい話題づくりや販促のための手段になっているのかもしれませんが、中原にとって「労働の中に音楽があり、それが一連の作業の中で融合している」というのは非常に魅力的に思っています。
これ以外にも、秋田や宮城などの民謡の中には、稲刈りなどの共同作業の呼吸あわせに歌われていた作業歌など、「労働に埋め込まれた音楽」は多数あるようです。(最近CDを購入してみました。)
これが、なぜ私にとって魅力的なのかというと、「ITによる合理化」に抗弁できる根拠にならないかという漠然とした思いがあるからです。基本的にコンピューターの長所は、作業やノウハウを外部化して分断し、最適化するのが得意ということだと、私は考えています。で、最近、その結果としての労働が、なんとなく人間的(?)な魅力に乏しいように思っています。
かといって、反ITというわけではなく、労働に埋め込まれた音楽のようなソフトウェアが作れないかと思っています。


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