深沢美潮『フォーチュン・クエスト』を1989年から、35年以上かけて読了したので、感想を書く。書評と感想の区別ははっきりしないけれど、価値自由とはかけ離れているので、まぁ、個人的な感想として。
これを書店で手に取ったのは、小学生だったと思うので、その昔の読書体験を振り返るのはちょっと恥ずかしいが、僕は、自分の過去を「黒歴史」のように忌避するのはあまり幸せな事と思わないので、大事に感想を書くことにする。本書は、岡山県の田舎でのんびりと自堕落に幸せに暮らしていた少年に、より多くの幸せを届けてくれた。不幸ではなかったけど、友達は多くなかったので、本書の登場人物は物語の中の友達だったな。
90年代は、ライトノベルと呼ばれるようなジャンルは、それほど田舎では認められていなかったので、角川スニーカー文庫で、迎夏生の可愛らしいイラストの描かれた本書は、「好きだが、恥ずかしい趣味」であった。まだオタクのような価値観に対する風当たりは強かった。だから、高校生になると、異性を意識するようになって、僕は、ファンタジーやSFのジャンルから遠く離れるようになった。
再び戻ってくるのは、すっかり大人になった2010年代のことである。当時、インタラクションデザインを学び、ITCを活用したデザインの領域を生業としていたが、アプリブーム・ソーシャルゲームブームに遭遇して、仕事としてゲームやエンターテインメント・コンテンツを扱う必要があった。そして、仕事のネタとして、企画の材料として、再び大量のファンタジーやSFを研究することになった。その後、仕事としてゲーム等に係る事は無くなったが、ファンタジーやSF、ミステリーの作品を、大人として少しずつ楽しむ習慣だけは残った。そして、フォーチュン・クエストに出会い直すことになる。
大人になると、当然ではあるが、小学生の頃のように素直に、本書を読んで没入することが難しくなる。また、古い作品なので、キャラクター設定や世界観の素朴さが目立ち、読みやすくはあるが、複雑な伏線回収や大きなストーリー展開が無く、ハラハラ・ドキドキといった感想は持ちにくい。
しかし、それ以上に大人の視点から見える、本作の工夫や長所が見えるようになる。よく指摘される工夫は、「冒険者カード」や「レベルアップ」概念の世界内への再定義であり、これは、後に続く「転生もの」のお約束を切り開いたものであろう。それらの工夫は、もちろんその通りなのだが、ここでは、エロ・グロ・バイオレンスの排除、一人称文体、児童文学性といった切り口を挙げよう。
1989年は、ライトノベルの黎明期なので、当時書店で平置きされていたファンタジーと言えば、『吸血鬼ハンター”D”』のようなソノラマ文庫の重厚な作品群か、新しいものでも『アルスラーン戦記』、『ロードス島戦記』程度の軽さだった。より軽い子ども向けの作品が目指されていた時代ではあったと思うが、まだ読者層として、それなりに「大人向け」に書かれていたとおもう。したがって、作中にエロ・グロ・バイオレンスがどうしても混入し、それらが物語の緊張感を生み出す重要な要素になっていた。
ところが、フォーチュン・クエストは、良くも悪くも作中からエロ・グロ・バイオレンスの描写が不自然なほど取り除かれ、ストーリーが展開する。(例えば、モンスターの死臭といった表現が薄い)これは、剣と魔法のファンタジー世界にまで「日常もの」が確立した現代においては、当たり前に見えるが、当時は新鮮な作風だった。エロ・グロ・バイオレンスの代わりに、紀行文風の語り口で、異世界グルメを描写してゆくパターンは、後の異世界転生の日常ものの領域を切り開いている。
次に一人称文体について。これも当時、かなり先駆的だったと思う。双葉文庫のゲームブックや『聖エルザクルセイダーズ』のような学園ものでは、一人称文体はあったと思うが、剣と魔法のファンタジー世界でここまで一貫した語り口は無かったと思う。当然、過去のハイファンタジーの重厚な世界描写が成立しなくなり、軽くなる。(なぜなら、作中の人物は、魔法やモンスターを自明視するので、一人称文体では、魔法を説明的に記述することが難しい) 本作は、世界描写が難しいという一人称文体の問題を、RPG・TRPGの世界観を借用することで解決し、最小限の描写で、ストーリーを展開するのである。これは、やはり、当時としては相当の工夫であったと思う。
では、エロ・グロ・バイオレンスを除き、ハイファンタジーの重厚な世界描写も除いたとして本書が残したもの、取り入れたものは何か? と言われれば、僕は何となく(岩波少年文庫のような)児童文学性なんじゃないかと思う。「児童文学性」ってなんだ?と言われれば、特に確たる定義を返すことができないけれども。
小学生の頃の僕は、頭のなかで確かにパステル・クレイ・トラップ・ルーミィ・ノル・キットン・シロちゃんと冒険していたように思う。今だって、「(幸せだった)子どもの頃に戻れ」と言われたら、そういう子ども時代を想像する。その子ども時代を形作るものが、まぁ、僕にとっての「児童文学」。
じゃあ、この『フォーチュン・クエスト』が、いわゆる児童文学なのか?と言われると、そうではなくて、僕にとっては、ちょっと特別な本だったりする。すべてがそうでは無いけれど、岩波少年文庫のような(海外の)ファンタジーを含む児童文学って、やっぱりなんか、ちょっと説教臭いというか、道徳や規範の香りがする。それに対して、本書は、もう少し良い意味で「内容が無い」。パーティーにほぼ「目的がない」。なんだか、ただ、友達と遊んでいるような感覚にさせてくれる。
しかしながら、以降、この『フォーチュン・クエスト』のようなライトファンタジーのスタイルが、より徹底したキャラクター消費の商業的動向に回収されていくのである。「キャラクター消費」は、すべての登場人物(子どもの友達)を萌えのパターンに還元してゆき、記号(?あってる?)として純化させてゆく。(例えば女児向けアニメのキャラが、「おっきな友達」の萌えの対象になる、など。)本書も、その傾向から自由ではないと思われる。
とはいえ、僕にとって、ライトノベル黎明期に、ハイファンタジー世界が人々の共有されて、その文化資源が軽く扱えるようになった瞬間に、エロ・グロ・バイオレンスに走らず、のほほんとした魅力的な友達をおいて、しかし、まだ萌えのパターンにも完全には拘束されていたないような本作が、思い出補正も込みで、とても貴重なのである。ありがとうございました。楽しかったです。また、戻って来るよ、パステル。