書評 横山勲『過疎ビジネス』

横山勲、 2025、 過疎ビジネス 集英社 を読んだので書評する。ジャーナリズムの本なので引用もなく、気楽に読める。地方創生における悪名高いコンサル企業(ワンテーブル)の悪行を追求し、それを許した行政の「限界役場」っぷりを暴露する痛快なジャーナリズムというか、エンターテイメントといった感じ。

内容は、「さもありなん」である。過疎地に住む人々なら、誰でも知っている暗部に、改めて光を当てたぐらいであって、別に驚きなどない。そもそも、日本に限らず、開発などそんなものであって、ワンテーブルの島田ごときの小悪党に憤ったとしても、どうにもならない。今後予測される、ベネズエラの油田開発など、どう考えたら良いのだろう。「地域住民のための開発(地域活性化)」が、ほとんどの場合、ペテン、欺瞞であることなど、誰でも調べればすぐわかることだ。問題は、そういった開発の言説や装置が、誰でも欺瞞であることを知っていても、決して止まらないない事にある。

こういった、開発人類学的な視点から、本書を読むと、なかなか絶望的である。著者は、意味不明の基準で、敵/見方を切り分けて、悪役の敵を追いかけて、味方を称揚するのだが、はたして、開発装置の中にいる人々を、そう簡単に切り分けることができるのだろうか。

また、著者は、地方創生や官民連携といった大きな物語を自明として、特に批判もしていない。ようするに「地方創生や官民連携は正しいが、それを上手くできない自治体の人々や、そこに付け込むコンサルが悪いのだ」と言っているに過ぎない。

私は、この視点にまったく同意できない。そもそも、地方創生や官民連携に伴う、膨大な量の書類や装置について、ごく普通に暮らしている「地域住民」なる人々、そこから無投票で選ばれた議員が詳しくなり、それを使いこなせるという想定自体、無理があるのではないか。そしてまた、世界中のどこを見回しても、一部の特異な優良事例を除けば、地方創生や官民連携といった外部からの開発にたいして、「地域住民」なる人々が自治を成し遂げたということは、ほとんどありえないのではないだろうか。

問題なのは、限界集落や「限界役場」、コンサル、「過疎ビジネス」といった事象ではなくて、本書の著者がもっている、開発を自明とする視点、それ(近代なるもの)に対処できない他者を上から見下す視点ではないだろうか。

上のような批判は、一言、「ポスト植民地主義」と口にすれば、終わりである。ところが、河北新報の紙面のレベルでは、その視点から事物を論じることができないのであろう。著者が、「ポスト植民地主義」、国内における開発批判に無知とは思わないが、しょせん、ジャーナリズムでは「勧善懲悪の物語」しか表示できない。だから、いつまでたっても、開発の茶番が終わる事が無いし、開発そのものへの批判的視点が表に出てこないのだろう。もう、いい加減にしたらどうだろう。。。


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