日本の社会学史の感想

いくつか日本の社会学の学史を研究した本を読んだ。どうやら、日本の社会学は、欧米社会学の「受容」の歴史があるっぽい。現在も生きている日本の社会学者による理論ってのは、ないのかもしれない。というか、一種の流行として海外の理論が入ってきて、それを日本の事例に適応して終わりっていうのが、ここ数十年つづいているのかもしれない。

そして、現在は、「もう、それは止めたほうがよいのかも?」という反省がうっすらと共有されつつあるような気がする。でも、まだ、未訳の新しい理論をタイムマシーン経営的に導入するのが分かりやすい成果になるような・・・

それに対するカウンターとして、地道な実証研究や歴史研究があるような気がする。僕もちょっと、「理論」の受容や解釈には興味がなくなってきたかもしれない。それより個別具体的な調査と史料の読み込み、それに基づいた様々なアクション(論文を書く、デザインをする)の方に興味がある。しかし地味だな。。

自省すると、エスコバルやファーガソンの事例に基づく理論を、岐阜県の農山村に適応してもあまり意味が無いんじゃないかと思い始めている。比較研究として意味があるかもしれないけど。


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