知らない体験をデザインすること

一昨日、ユビキタス・インターフェイスについてガールズ・トークというイベントの司会をしました。
そこで得た結論を自分なりに咀嚼してログします。
ユビキタスなコンピューターを作っていこうとすると、日常的なさまざまな場面でのインターフェイスが必要となる。できるだけ汎用的で使い勝手のいいインターフェイスを設計したいが、「日常」には多様なシーンがありすぎて、問題発見が難しい。本質的な問題をとらえる観察眼とコミュニケーション能力が重要。
ということでしょうか。言葉にするとあまりにも当たり前ですが、実際は難しいことだと思います。2008年現在は、おもしろい時期にあって、コンピューターがコモディディ化する直前なんじゃないかと思います。しかし、プログラミングやCV、センサリング、プロダクトの造形などテクニカルな障壁がまだ多すぎて、日常を観察するところまで手が回らないんじゃないかと、、。
一方、インタラクション・デザイン・コミュニティ(?)では、いわゆるデザインメソッドを使って、日常の体験を観察することには熱心なのですが、実際に動くインターフェイスを作らないので、テクノロジーが一種の魔法になってしまっているケースも散見します。。
あと、ビジネスの視点も不足しているように思う。「ユビキタス」という言葉は、まだまだ助成金をもらうための宣伝文句にとどまっているのかもしれない。本格的にお金の話ができるのはインフラが決まってからなのだろうか、、。
ともかく、いろいろな問題はまだ残っていますが、
今までは研究に参加しなかったような人々(たとえば、「ガールズ」、こども、老人、ゲイ、外国人などなど)が、ユビキタスが覆う広大な、未知の体験(私にとって)に関するシステムを設計するのは、未知の可能性が残されているように思います。
中原


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