自分のための警句として。
キーワードは自己言及のためにあるのではない。
発想を広げて、人を動かすためにあるのだ。
さまざまな言葉がバズワードとして消費されたのを見て思いました。バズワードの最期は必ず、「・・・」とは何だったのか?という総括や疑問で終わります。自己言及や定義を考え始めたらその言葉やコミュニティは勢いを失っているという証拠。
それが何なのかハッキリわからないまま、それでも発想が膨らみ、人が活発に動くとき、初めてその言葉に価値があるのだと思います。
ある具体的な言葉の最期に立ち会って、
中原
キーワードは自己言及のためにあるのではない。
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