超訳 ニーチェの言葉  という本について

 書店で「超訳 ニーチェの言葉」という本を見かけました。著者欄と思わしきところに、フリードリヒ・ニーチェと記載があり、「?」と思って 手にとって見ました。

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この本、大丈夫だろうか。。。?

警句の切り出し方が断片的すぎて、なんだかただの甘ったるい励ましの言葉になっているように思えます。あと、ページタイトルに訳者の勝手な言葉が添えられている、、、。ちょっとゲンナリする内容になっていました。
これを著者=ニーチェ とする出版社のスタンスがわからない。。

最近の新書市場や、初心者向け解説書しかよまないプログラマの振る舞いを見るにつけ、知識の原点を、階層的・歴史的に参照しないスタンスが、効率的とされているように思えてなりません。
翻訳や解説、引用には、多くの意味の改変があるのに。

訳者や解説者が優れている場合、その改変はあたらしい別の認識に至る契機になると思うのですが、そうでない場合は、多くのケースでただの常識的道徳や、誤りに回収されてしまうと思うのです。

新書が読みやすいのは、書かれている内容が常識的に「あたりまえ」だからなんだと思います。そして、その「あたりまえ」なことの再確認に、慰め以上のメリットはあるのだろうか。

といって、私も、ドイツ語でニーチェの著作を読めるわけではありません。
(でも、MSDNやAppleの技術文書はすべて原文英語で読みます。解説書は一切読みません。)
ニーチェの研究をしているような方々には怒られますね。
しかし、原典にたいする興味と積み上がった数千年の知識に対する敬意が重要なんだと思います。宗教のようですが、私にはいまだに「歴史が終わった」と思えませんし、「明日は今日より素晴らしい」と思っています。その為には、過去の知識を正しく受け取って、自分が別のあたらしい認識に至る必要があります。

私の場合、哲学ではなく、コンピューターの領域ですけど。
中原


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