伊藤計劃 ハーモニーを読んだので感想を書く。
近年まれにみる最高のSFだった。大好き。
以上、終わり。
・・・にすると、面白さを反芻できないので、なぜ「自分」が好きなのかを、ちゃんと考える。(一般的な推薦文のようなことは書かない。)
私は2000‐2005年ぐらいの間、ソーシャル・ダーウィニズムに関する評論文を集めていた。
また、大学の卒業論文で、栽培植物の起源を判別するツールに関する研究の手伝いをしていた。さらには、研究所に所属していた時期は、人工知能傍系の研究に従事していた。
なぜこれらの活動をしていたかは、作中の「自然という予測困難な要素の集合を、予測し統合する枠組みへ抑え込もうとする人間の意志」という文章によく表現されていると思う。私は、自然を征服して制御可能にしたいのだ。要素をバラバラ分解して、外注し、自由に再構成できることを確認したいのだ。これは何も私だけの考えではなくて、私が信仰する宗教の教えにふくまれる考え方なのだと思う。
仕事でソーシャルメディアを設計すると、共感を連鎖させる仕組みを意図的に作り出す必要に迫られることがある。誰もが「いいね」と言いやすい仕組みが希求される。エージェント同士が合議しやすい仕組みだ。今まさに、私がやりたいことは、低レベルのハーモニクスの実現なのではなかろうか。
そういえば、攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックスのOPで、「すべての個が個であることを忘れ切らない未来」のような文章が表示されていた。プログラマーの私としては、個が個でなくなって何が悪い、<null>私</null>となって何が悪い?と考えている。
また、作中に展開される思想例も、一度自分が考えてみた例が多くて、よかった。例示される毎に、文章以上に私の中で物語が膨らんだ。(ペダンチックなのがプラスに作用している)たとえば、「肉体の側がより生存に適した精神を求めて、とっかえひっかえ交換できるような世界」などという表現。ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読みながら、そういう観点に立とうとしたし、三島由紀夫のマッチョな趣味を解説した文章で、感銘を受けたことがあった。それ以外でも、フーコーの引用なども定番だが、適切で物語が膨らんだ。
エンジニアとして、科学技術という宗教の信者として、「わたし」を含む予測不可能な自然を極限まで制圧した未来を描かれるのは心地よい。それが、いかに裏返しのディストピアとして描かれていたとしても、目指すべきビジョンを与えられた気持ちになる。
エンジニアは外野から批判などしない。ただ実現するのみだ。
中原