「自分を信じる」というのは言葉では軽く言えるけど、結局のところ時間配分の問題なのではあるまいか。日常の雑事や、これまでの仕事の継続を簡単に0にすることはできまい。その上で、まだ形になっていない、未知の、未踏の、承認されていない仕事や行動にどれだけリソースを置くのか?ということになる。
家族や親族、得意先、取引先が被る迷惑を度外視すれば、いくらでも「自分を信じる」ことができようが、お父さん・オジサンになるとそうもいかない。結局、妥協に妥協を重ねて、雀の涙のような時間において、未知の仕事に取り組むことになる。
でも、そういう制約をふくめて、未知の仕事に取り組むことは嫌いではない。他人のそういう仕事や活動を見ると、嬉しくなる。