タヌキ不動産を初めて間もなかった時期には、空き家家財整理におけるトラブルが頻発していた。ようするに、引き渡しまでにきれいに片付けるノウハウがなかったのだ。当時は、僕の解決の選択肢が少なく、オーナーの自助努力を信頼するしかなかった。「まぁ、家族もいるし、力を合わせて親族が頑張って片付けるだろう・・・」と甘く見ていた時期である。実際は、古民家一軒の家財整理は、集中作業しても2-4週間はかかる大仕事であり、助けてくれる親族はまれなのである。高齢化したオーナーが子に頼ろうとするが、彼らは遠方に他出しており、大仕事に参加できる余裕はないのである。
そんな時分に、二人とも80歳を超えた老夫婦から、空き家の売却を依頼された。物件から1時間ほどの場所に他出して住んでおり、元ホンヤ(本家)の延床面積180㎡を超える大きな古民家を手放したいと考えていた。状態の良い物件で、売買契約まではそれなりに順調に進んだ。(とはいえ、実は契約と登記移転にも大きな問題があったのだが、それは別のはなし)旦那さんは、健康状態が悪く、移動もままならないため、ほとんどのやり取りは奥さんと行っていた。奥さんももう車を運転することが出来ず、移動はもっぱら娘さんを頼っている状況だった。
売買契約が成立した後、引き渡しまでに1.5カ月の準備期間がある契約であった。成立時に、事前の契約条件を確認して「引き渡しまでに、家財整理は実施してくださいね」と奥さんに念を押していた。「大丈夫だと、思います」とどこか他人事のように、小さい声で言うので若干心配になっていた。
それもあって、引き渡し予定日の5日前に、物件の現状確認に行った。そうすると、案の定、家財整理がほとんど進んでいないのである。慌てて、電話をかけて確認すると、家族の都合がつかず作業ができていないとの話だった。この取引の買主は、一般的な意味で「譲歩する人」「良い人」とはいえず、おそらく自分の立場をゴリ押ししてくるタイプであったので、その旨を警告して、「最悪、ちゃんと家財整理していないと、係争になる可能性もありますよ」と伝えておいた。
その日のうちに、娘さんから連絡があり、「明日すぐに片付けに行くが、終わらない可能性があるから、相談させてほしい」ということになった。次の日、小雨がパラつくなか、空き家に集まると、軽トラが1台と乗用車1台が止まっていた。所有者の奥さんと、娘さん、その旦那さん、おそらく孫と思われる10代の女性がいた。
次善の対応を練って、その日のうちに必要なものと処分するものを区別(いわゆる断捨離)して、残ったものの廃棄の手配は、タヌキ不動産が手伝う事となった。とりあえず、奥さんと娘が、「お母さん、何が要るん?」「あれは、必要なんよ」などと言う会話をしながら、古民家内を移動するのに同伴した。
「これ」「これ」「これも」と、奥さんが、次々、必要なものを指定するので、娘さんが慌てる。娘さんの夫が、「お義母さん、そんな軽トラにのらへんよ」と言ってたしなめることになる。それに対して、奥さんは、ムッとした表情をして、別の部屋に移動する。娘さんの夫と孫は、奥さんに同伴することを諦めて、暗い空き家内から玄関に戻ってゆく。
奥さんと娘さんは、また別の部屋(2階)に話しながら移動する。「お母さん、とりあえず必要なものだけ下(一階)に集めたら?」「そんなら、○○さん(おそらく娘の夫の名前)に運んでもらわんと」そういいながら、古い長持を触っている。「だから、そんなに持っていかれへんって。どこに置くのよ」そんなやり取りをして、次第にお互いが不機嫌になり、娘さんは匙を投げたような表情になり、1階のリビングのソファに座って距離を置くようになる。
僕は、買主の事を想像して、逃げることもできず、老婆(奥さん)がぜーぜーと呼吸を荒くしながら汗をかいて、様々な物品(衣類や食器、掛け軸のようなもの)を救出しているのを眺めることしかできなかった。両手いっぱいの荷物を抱えて、奥さんが古民家特有の急階段を降りようとするので、慌てて「気を付けてください!すべりますよ」と警告する。それでもそのまま降りようとするので、「代わりに運ぶんで、ものを指定してください」という。小物に関しては、3往復ぐらいして、1階の縁側近く(車へ搬出しやすい場所)に集めることができた。さらに2階にある和ダンスを運ぼうとするので、「それは無理です」といって断った。そうすると大物は後にすると納得して、今度はボロボロの離れに移動する。
敷地内の離れは、立派な母屋とは対照的に、ボロボロで誇り臭く、あちこちにカメムシの死骸があり、靴下で歩くのは躊躇するほどだったが、奥さん(所有者の妻)が靴を脱いでいるのでしょうがなくついてゆく。この時点で、奥さんに同行するのは僕だけになっていて、内心、「なんでこんなことに付き合わなあかんねん。早く終わらせて」と思っている。僕が、業務上の義務心で不機嫌そうについてきているのは伝わったのか、奥さんはか細い声でくどくどと言い訳をする。
「中原さんは、呆れているでしょうねぇ。こんなゴミみたいなものに拘って・・・でもねぇ、私たちはモノがない時代に生まれたから・・・若い人には分からないのよ。ねぇ・・・中原さんには分からないのよ」
「いやべつに・・・ そうですよね。時代が変わってますから」
「ああこれは、○○ちゃんに貰った分。これは○○ちゃんの分・・・」そう言いながら、小さな贈答品の段ボールを次々に手に取ってゆく。その手が、家財のなかでももっとも古いと思われる木製の黒光りする長持に動いてゆく。
「これはね。嫁入りの時にお母さんが持たせてくれたものなの。ずっと捨てられなかったの。おかしいでしょう? でも、本当にものがない時代だったから、無いと不安になるの。分からないでしょう?」
そう言われて、僕は言葉を失いそうになったが、しかし、ここで簡単に引くわけにはいかないのである。
「お気持ちはよく分かりますけど・・・・ ですが、買主さんには買主さんの事情がありますし、新しい生活がありますから・・・」
そんな感じで果てしなく問答が続き、結局、家財の保存/廃棄確認が終わったのは3時間後の事であった。軽トラ3車ぶんもの荷物が、保存され、収納先が未定のまま、現住所に送られることになった。
僕は、そのあともこのエピソードと、大量の荷物に押し込まれるようにヨタヨタと歩く老婆が、急階段に向かっていく様子を忘れることができない。その物への執着と、ものに繋がった記憶と人間関係への執着、ものが不足していた時期への規定を忘れることができない。たしかに、僕には何も分からないし、共感することは難しいのだ。しかし、あのぜーぜーとした息遣いだけは、はっきりと理解することができた。