とある地方行政の審議会に委員として参加した時、そこの市議に「空き家問題」の諸事情について話したところ、「不動産屋は、すべて頭に「悪徳」が付くから、信用されないのが当然だ」というアドバイスをいただいた。市議から悪意は感じられず、単に「地域の評判なんて気にしても意味がないから、気楽にやりなさい」という文脈で語られたのだと思う。当時は、「なんだか全国の不動産屋を敵に回すような発言だなぁ・・・」と思ったが、今になると、「なるほど慧眼」と思うようになった。というのは、不動産屋は、どう頑張ったところで近隣住民から嫌われる構造の中に投げ込まれているからである。それは、僕の場合は、次のようなエピソードになる。
ある遠方の都会に住む空き家の所有者が、メールで僕に連絡をして、空き家の売却を依頼した。僕は、通常の手続き通りに、物件の現地調査・資料調査をして、販売する物件を登記簿上で特定し、価格査定をして、販売活動を開始するための媒介契約を取り交わした。その物件は、いかにも新規就農や田舎暮らし、農的生活に最適な、典型的な農地付き古民家であった。これは、一見、全体として一体となった土地・田畑・家屋であるが、登記簿上、土地は、8筆に分けれていた。
その後、数日して、所有者(売主)から、物件に含まれる2筆の土地を販売から外すように指示された。農道に接道する田畑を、近隣住民に譲渡するらしい。販売準備のため都会から帰省し、掃除と近隣住民への挨拶周りをしていた最中に、「どうせ売るなら、俺に譲ってくれ」と頼み込まれたそうだ。
この譲渡により、物件に残された農地は、急斜面の上の接道しない土地だけとなり、極めて農業に不利な条件となってしまった。当然、僕は、その不利によって、就農志向の買主に売りにくくなることを説明した。しかし、近隣住民(親類)との約束を反故にすることは、売主には難しく、結局、不利な条件のまま売り出すことになった。
さらに、数週間後、物件に含まれる1筆の雑種地(駐車場)を販売から外すように指示された。これも同様に、別の近隣住民から「どうせ売るなら、俺に譲ってくれ」と頼み込まれたそうだ。この雑種地を、物件から外すと、車を駐車するスペースが全くなくなってしまう。この地域は、限界集落であり、徒歩10分ほどの場所に鉄道の駅はあるが、数時間に1本の運行しかなく、一般的な意味で車の利用が必須の地域である。したがって、この措置によって、この物件は生活面でも極めて不利な条件となり、実質的に「ほぼ売る事が不可能」な空き家になってしまう。
さすがに僕は、「限界集落の駐車場なし空き家を売る事は、不可能」と言う判断をはっきり売主に伝え、再考を要望した。その結果、売主は、家族と相談の上、近隣住民との雑種地譲渡の約束を反故にした。そして、この空き家は、無事に売れ、新しい住民を迎えることになるのだが、僕は、この集落の「悪徳不動産」として知られるようになった。彼らの主張によれば、「タヌキ不動産は、売却利益を上げるために、売主から雑種地をだまし取った」そうである。しかし、僕が認識している事実では、この販売は単なる媒介であり、2025年当時の宅建業法では、800万円以下の取引では、33万円まで販売価格に依存しない媒介報酬を受け取る事ができる。僕は、雑種地を販売に含めたとしても、なんの追加利益もなかった。
このような衝突は、タヌキ不動産の空き家販売の中で頻発する。たとえば、販売活動が始まった後(タヌキ不動産の立て看板が立った後)、近隣住民が、家屋に隣接する倉庫を買いたいと言ってきたり、地域の土木建築業者が、隣接する農地を太陽光発電の用地として買いたいと言ってきたりする。
ようするに、露骨に言ってしまえば、空き家であること、それを公に認めて売りだそうとすることは、土地建物が「死体」であることを認めて、その死体をさらす事に似ているのだ。だから、近隣住民は、腐肉から有用な栄養を奪うハゲタカのごとく集まってくる。そして、残された土地建物の残骸は、売主の負担として残っていく。一般的な意味で、近隣住民は、売主の負担や、地域に空き家が残ることなど、心配してはいない。この文章を読んでいる、貴方は、近所の他人や地域の負担といった大所高所から、他人について考えたことはありますか? たぶん無いんじゃないかしら。僕は、近隣住民がハゲタカになる事を当たり前だと思っていて、不動産屋としてハゲタカと戦うことも、当たり前だと思っている。ここに仲良くなれる理由などないと考えている。
ところが、面白い事に、上記のような農山村での近隣住民の振舞いを指摘すると、不愉快な顔をしたり、それを否定しようとする人々が一定以上いる。要するに、農山村には、「人と人とが支え合う、人間味豊かなコミュニティ」がある、といった物語を素朴に信じているのだ。コミュニティデザインとか、地域デザインとかに取り組もうとする、政策立案・実行側に立つ人が、よくプレゼンなどで、喋ってしまう「あの感じ」である。しかし、僕が体験しているハゲタカと悪徳不動産屋の戦いや、過去の稲作を巡る農村社会の共同性は、この手の牧歌的コミュニティ観を否定する。農山村の共同性とは、基本的に利己的でずる賢い人々が、抜け駆けする他人を相互に抑制するための規範群である。激しい競争をともなった共同性・共有性であって、それは「仲良し」ならないし、「喧嘩別れ」にもならない。絶え間ない、衝突と交渉、均衡、棲み分けが起こっている場所と考えたほうがよい。
だから、不動産屋が「悪徳」と呼ばれるのは、当たり前だし、健康なのだ。タヌキ不動産は悪徳不動産である。